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とりま、未来視してみる。

高専と大学卒業後、ベンチャー企業を3社起業・経営。と思いきや実家福岡に戻ってカフェで働くことに。

【読了②】天才と呼ばれた田中角栄−天才 石原慎太郎

石原慎太郎

自分の認識は、元東京都知事、一時期は暴走老人などと言われて太陽の党やたちあがれ日本の設立その後橋下徹と組んで日本維新の会を軒並み作っては合併分裂させていた方。

政治家としては、東京都にオリンピックを誘致したことやディーゼル車の規制を行ったことのイメージが強い。

作家としての石原慎太郎氏はさっぱり知らなかった。

もともと本を読まない自分としては、初めて石原文学に触れる挑戦となったのだ。

この「天才」を書くにあたって、石原氏は自身の政治家時代の経験はもちろんのこと多くの彼の資料を収集し執筆にあたっている。

226ページの本を精読したので、数回に分けてブログに残して行こうと思う。

1回目は、出自から総理大臣まで上り詰めるまで。

 

田中角栄の基礎

小学生の頃までどもりがどうしても治らなかった。流暢に話すことが出来なかった。ドモリの克服のため一念発起し、学芸祭の劇で主役になることを担任に懇願する。また、舞台演出として音楽を流したりいろいろと工夫したところ、流暢な言葉回しができ劇は大成功。ここで成功には根回しが必要であることを学んだ。

 

競馬好きで馬主の父親が金で困ったとき、親族にお金を借りに行った。親族はお金を貸してくれはしたものの「借金をするとはどうしようもない父親だな。」と言われてしまう。お金で人の評価まで決まってしまう事をこの時知ったのだ。

 

小学校卒業後1ヶ月ドカタの仕事をした。トロッコを押し汗水たらして働いたが僅かな金しか得ることができなかったが、知人の紹介で県の土建事務所で働くことになった。つい先日まで下っ端で働かされていたのに、翌日は現場監督で県からの仕事を指示する立場に変わった。この国は役人の縦の仕組みで動かされていることを学んだ。

 

昭和13年徴兵検査に甲種合格となり、満州での兵役につくことになる。軍隊では食糧管理の任についたが、当時の管理はずさんなもので、食料庫に夜な夜な盗みに入る他の兵隊を見す見す見逃してやることを覚えた。このことで賄賂の効用を学ぶことになった。

 

数は力だ、力は金だ 国政への進出

肺炎にかかり除隊後、飯田橋に田中建設事務所を設立した。事務所の家主の娘と結婚し、ほどなくして息子正法が産まれた。乱暴に頬ずりをした時の感触。父親になる感触を感じた。しかし5歳での死。この時の家族の尊さと命の尊さ、何もしてやれなかったという後悔は、角栄の総理大臣を放り出す遠因にもなる大きな影響を与える出来事だった。

 

田中土建工業株式会社に改組し、軍の仕事を請け負し全国有数の土木会社となった。

田中土建工業の顧問で進歩党の代議士から300万円工面を依頼された。天下の政党がそれほどの金で済むのか。と田中は思った。

15万出して立候補しろと言われ周りに押されるがまま立候補。キャッチフレーズ「若き血の叫び」

演説では「三国峠をダイナマイトで吹っ飛ばせば新潟に雪が降らない。その土を日本海に運べば佐渡島と陸続きになる。」パナマ運河スエズ運河を例に挙げて国土の改造を呼びかけた。

 

その時の選挙は落選したものの、翌年の選挙で当選。

同期当選となった中曽根康弘と国会議事堂のホールで出会う事になる。 彼は反吉田のホープで官僚のエリート。自分は小学校卒で企業から成り上がったもの。因縁めいた物を感じたその時はまだ30歳だった。

 

第二次吉田内閣の法務政務次官に異例の抜擢をされた。
吉田みたいなエリートは異端に興味が湧くのだ。吉田の問いかけ「出生届を自分で出しに行ったそうだね?」に対して「なぜそのことを知っているのですか?」と答えた。心を捕まえたと感じた。

 

その後は国対委員に。互いの利益の確保で国民の立場へのしん酌が欠けている現場を見る。

問題の裁定の時は、トロッコを押した経験を語る 。「あんたら土方をやって汗水たらしてトロッコ押したことがありますかね?」誰も反抗できる議員はいなかった。

その頃、20本の新しい法案を発案した。

 

そんな中、造船疑獄が発生した。167億円が政府負担して海運が壊滅していた中で船を作る政策が必要だった。

造船疑獄とは飯野海運から佐藤栄作池田勇人に1,000万円が贈与されたというものだ。東京地検は両氏の逮捕に乗り出すが、犬飼健法務大臣が指揮権発動したという事件だ。

田中に言わせれば、これは当たり前だろうと説く。何かお願いをしに挨拶に行くとき菓子折りを持参するようなものだ。167億の金が動くときに何かのお願いをするときに1,000万円くらいの金が送られるのは当然で、そのための政治だ。と。

「そのためにこそ政治という手段があるのではないか。政治家には先の見通し、先見性こそが何よりも大切なので、未開の土地、あるいは傾きかけている業界、企業に目をつけ、その将来の可能性を見越して政治の力でそれに梃入れし、それを育て再生もさせるという仕事こそ政治の本分なのだ。」

彼にとって造船疑獄は、先を見通して傾きかけている業界を政治が梃入れして再生させた事と映ったのだろう。

 

政治家を志す人間は、人を愛さなきゃダメだ。

その後大蔵大臣に就任。ここで、田中角栄の名言が出る。

「私が田中角栄だ。私の学歴は諸君と大分違って小学校高等科卒業だ。諸君は日本中の秀才の代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。私は素人だがトゲの多い門松を沢山くぐってきていささか仕事のコツを知っている。これから一緒に仕事をするには互いによく知り合うことが大切だ。我と思わん者は誰でも大臣室に来てほしい。何でもいってくれ。一々上司の許可を得る必要はない。出来ることはやる。出来ないことはやらない。しかしすべての責任はこの俺が背負うから。以上だ。」

相手を褒めることに長けていた。この言葉は当時の若手官僚の心をくすぐっただろうと容易に想像できる。

 

大蔵大臣の時、日銀総裁と電話一本で日銀特融の発動。氷川密談で大手銀行の協力の約束を取り付けてしまう。

大蔵省主税局税制第一課長の山下元利のミス(間違った税率表を議会で発表)を潰した。ミスを犯した役人は辞表を忍ばせ田中のもとに謝罪に来るが笑って追い返したという。翌日に先日の税率表は間違いだったと議会で素直に訂正したのである。もちろん間違いを発言する前の根回しはしていた。この頃から役人が田中になついてくるようになった。

 

ニクソン大統領とゴルフ場を回った時のこと。ゴルフが得意ではなかった田中がニクソンにジョークを飛ばす。「まだビギナーだが、最近うまくなってきた。いずれマスターズを目指すつもりだ。」ここでも、ニクソンの心を掴んだ田中。

食事の席でニクソンから隣に座るように促された。当初は福田が座る予定だった席だ。当時から角福戦争は始まっていたのである。

 

日本列島改造論発表。佐藤栄作首相は福田を次期総理に推していた。

佐藤栄作とは対等にやりあっていた田中。佐藤栄作田中角栄が言い争ってお互いそっぽを向いていたりすると、橋本登美三郎が「もう喧嘩はすみましたか?」などとおずおずと出てきていた。

佐藤は田中と福田と保利を競い合わせてうまく使い政権を長持ちさせた。佐藤とは権力共有関係だったのだ。

福田優位と自他認める中で歯がゆさを感じる田中。

「俺は佐藤さんが苦しい時や危ない時は必ず顔を出し局面を切り開いてきたつもりだ。今度もあの人が傷つかぬように彼の顔を立てて最後まできちんとしてやろうと心に決めているんだよ。」

福田は何もしてないが、田中は自分は支えてきたという自負があった。

 

佐藤4選を画策する中でじっくりと人間関係を構築していった。4選を目指してくれたおかげで、長考の間に小さな歩の使い様まで綿密に考える事ができた。

政治の出来事は、商売の取引に似たものがある。駆け引きには裏があるのだ。

冠婚葬祭には腐心して手を尽くす、人間の肌合いの問題なのだ。

後に、政敵であった者の葬式に田中軍団総出で参列したこともある。

 

今太閤

総裁選本選挙の結果、田中156票 福田150票 大平101票 三木69票

決戦投票では大平票と三木票の大部分を獲得し総裁選出。

高等教育の学歴がない者がこの国のトップまで上り詰めたのだ。百姓の身分から天下統一を果たした太閤 豊臣秀吉になぞられ、今太閤と呼ばれた。

官僚主導を念願する佐藤・岸兄弟に勝利した瞬間であった。

念願だった日本列島の改造。そしてアメリカに先を越された中国との関わりの健全化だ。

政治家の責任とは、役人と違ってもっと大掴みに国の将来を考え、それに備えて施策を考え実行することだ。

外務大臣に盟友大平正芳を据え、中国との国交正常化交渉に臨んでいく。

 

田中角栄が今もてはやされるのはなぜだろうか

石原慎太郎の本人の意見を田中角栄に代弁させている本だろうな。と思わずには居られない本である。随所随所に過去の文献をさらって出てきた言葉とは温度感の違う言葉が踊る。

まさに亡霊に語らせるということだ。何故か死後23年を経て21世紀の日本に舞い戻ってきた亡霊を通して、石原が政治家・国民に語りかけているのだろう。

 

長期政権になるのが間違いなしの安倍政権覇権主義南シナ海への進出を続ける中国。全く機能していない野党。

そんな中で、長期的な視点に立って政策を作り、人の心をうまく掴んでいった田中角栄に何かを学んで欲しいと言うのが石原氏が言いたいことなのではないだろうか?

 

中国との交渉を成功させる田中角栄氏、金権政治と批判され退陣しロッキード事件に巻き込まれ、その後裏から政治を操る立場になっていく過程はまた次回。

今日はこの辺でー。